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パリ通信
プランタン銀座の海外関連業務のサポートをしてくださっている在仏15年を越える小川明子さんによるフランスやパリに関するレポート。
フランス人のご主人と3人のお子さんのいる働くお母さんでもある小川さんの、生活者としての視点で感じたパリの情景を、時節の話題とともにホームページをご覧のお客様にお伝えしていきます。
Vol.145 オーヴェール・シュル・オワーズ 〜ゴッホの最後の足跡
画家のゴッホが精神的な病に侵されながら、最後の70日間を過ごしたパリの北郊外「オーヴェール・シュル・オワーズ」。ゴッホはのどかな田園風景に魅了され、死の直前まで情熱に駆られて70枚以上もの絵を仕上げたといいます。自ら胸にピストルを放ち、その傷がもとで2日後に亡くなったというのが今までの定説でしたが、最近になって自殺ではなく事故死であったという説が浮上し、論議を呼んでいます。そこで早速、オーヴェール・シュル・オワーズに行って足跡を辿ってみました。
ゴッホが下宿していた「オーベルジュ・ラヴー」
情熱的な性格でのめり込むタイプのゴッホは、絵を描きながら幻覚に悩まされるようになっていました。パリや南仏でトゥルーズ・ロートレック、ピッサロ、ゴーギャンといった画家たちと交流がありましたが、オーヴェール・シュル・オワーズに住む医者のガシェ氏を紹介されて、1890年にこの地に移り住むことになりました。ここには印象派と呼ばれる画家、ピッサロ、セザンヌなども滞在するなど画家との縁があり、ガシェ氏自身も絵画の造詣が深く、ゴッホにとって理想的な住処となるはずでした。
「オーベルジュ・ラヴー」店内
駅のすぐ横には市庁舎があり、その正面にゴッホが下宿していた「オーベルジュ・ラヴー」があります。ワイン商であったラヴー氏がカフェ・レストランを経営し、上階の部屋には幾人かの画家が下宿していました。建物は現在、歴史建造物に登録されていますが、ゴッホが借りていたという屋根裏部屋が今でも残っていて、部屋へ上がる階段も当時のままです。1階のレストランも当時の様子がそのまま再現されているので、19世紀末にゴッホたちが食べていたであろう料理を味わうことができます。ゴッホはキャンバスが手元にない時にはこのレストランの布巾を夜中に盗み、布巾にまで絵を描いたという逸話が残っています。現在はテーブルクロスの代わりにレストランの名前入りの布巾が使われ、店内では、絵にも描かれているグラスや水差しなど、当時と同じ形のものが使われています。
オーヴェール・シュル・オワーズの教会
小さな街中には至る所にゴッホが描いた風景が当時のまま残っています。「オーヴェール・シュル・オワーズの教会」をはじめ、絵のモデルになったところには絵画の複成がパネルとして立ててあり、実物と絵画と見比べることができます。そんなパネルを一つ一つ宝探しのように見つけながら足跡を辿り、街を散策するのも楽しいですよ。
注:ゴッホの家は冬季の間は閉館されるのでご注意ください。
2012年4月










